レモン哀歌

 今日たまたま、高村光太郎『智恵子抄』を取り上げているブロガーの方の記事に出会い、
 ふと懐かしい気持ちになりました。
 「レモン哀歌」、そう同じく私も中学か、高校の教科書で触れた詩集。
 レモンをぎゅっと噛みしめる智恵子が、ふと正常に戻ったような笑顔を見せる。
 すっぱい味覚と醒めるような感覚を 言葉とその音から味わったことに感動したのか、
 それまで詩など関心がなかったのに、『智恵子抄』を買い、レモン哀歌を暗唱した。
 国語の先生は、『智恵子抄』の映画まで見せてくれた。
 あの頃の先生、好きだったなぁ。
 高校の時に出会った先生は、個性的というか、ロマンチストが多くて、
 だけどそういう人って、自分が好きなことを魅力的に語ることができて、
 嫌いな国語も 国語と言う教科と意識せず、色んなことを考えさせてくれた。
 教科書をただ辿るより、本当に先生が好きなわけを伝えてくれた気がします。
 そういう先生に出会えてよかったなと思います。

 愛など 考えても 想像もできなかった学生の頃、(今でもその言葉はピンとこないけれど)
 『智恵子抄』で、二人の愛のかたちに触れたのは衝撃でした。
 愛し合っていても、個性のぶつかり合い、
 夫婦でいることと芸術家としての表現の出口を失う葛藤、
 二人でいることに懸命になることが、余計に自分自身を孤独に追いやる。
 何という矛盾、大人の愛は複雑だ、とその頃の私は思い、
 自分もそんな思いを知るのだろうか、と思ったのでした。 
 しかし、そんなにこころにひたむきになれる自分はおらず、
 なんとも言えないですが、二人の、高村光太郎の愛情を言葉を通して、
 そのような感情があるのかと味わうことができるだけでも、いいか。
 久々に思いだして、書きました。
 詩集の感想は、当時の記憶までなので、解釈間違っているところがあるかもしれません。
 それぞれの方にそれぞれの感じ方があると思いますので、よかったら読んでみて下さいね。
 
 この詩を読んで以来、レモンの存在がとても気になるようになり、レモンを見れば詩を思い出します。



       
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた

かなしく白いあかるい死の床で

私の手からとつた一つのレモンを

あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

トパアズいろの香気が立つ

その数滴の天のものなるレモンの汁は

ぱつとあなたの意識を正常にした

あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

あなたの咽喉に嵐はあるが

かういふ命の瀬戸ぎはに

智恵子はもとの智恵子となり

生涯の愛を一瞬にかたむけた

それからひと時

昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして

あなたの機関ははそれなり止まつた

写真の前に挿した桜の花かげに

すずしく光つレモンを今日も置かう
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by horaice | 2009-11-24 01:07 | Books and Movies | Trackback | Comments(2)
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Commented by shiki_cappa_m at 2009-11-26 10:39
私は檸檬と言うと、梶井基次郎を思い出します。
檸檬→梶井→桜、といった風な連想になってしまうかな?

でも高村光太郎も好きです。
レモン哀歌、私はこの冒頭の一文が好きでした。
明るい陽の差すテーブルの上、コロンと檸檬が転がっているような、そんな風景。
細い千恵子さんの手が着物の袖から覗く、そんな風景を切り取ったような画。

施基
Commented by horaice at 2009-11-27 22:49
○施基さん
お待たせしました。何だか数日ぐったりしていました。
梶井基次郎の檸檬、読んでみました;-)
施基さんと繋がる単語をいくつか見つけましたよ♪ 酒とか・・笑
檸檬、何かパッと覚醒するような、瞬時に空気が変わるような要素が
あるのかもしれませんね。
その中でも、それぞれに 色んな人が連想する物語があるものですね。
着物を想像されるのは、施基さんだからこそだと思いました;-)
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